あたし。
コイケジュンコ。
紙が大好き!! なんだけど。
これだけは、あたしのなかでの、お約束。ゴミ箱からは、絶対、拾わないコト。
に。
してたんだ。
でもね。
ゴミ箱から、覗いてる紙。素敵なヤツ、あったりする。
ワケで。
そういう時、困っちゃうんだなァ〜…。
とか、思っちゃう、あたし、なんだ。
はいっ、懐かしの花井愛子調でお届けしております。こんばんはコイケです。
明けましたね新年!平成31年!最後の平成!つか数ヶ月後から新しい元号!
どんどん過去が歴史になっていくのを感じます。
突然ですが、江戸時代の文化を調べるのが好きなワタクシ。
江戸というともう歴史上のことで、歴史というと軽々しくイジっちゃいけない重い感じがしますが、
その時々の風俗を調べていくと面白い!やっていることは今となんら変わらない!
今じゃ厳かな扱いをしている家紋も、当時は歌舞伎役者の推しの衣装に付いていたものをミーハーに真似して自分の家紋変えたり(それが今でも継承されいる説…)、
剃り込まれた月代の幅も時期によってダサい・オシャレが変動したり、
地方の女子の中で浮世絵を参考に花魁の無数に差された簪ヘアが流行ったり。
これを知った時、私的には平成でいうところの女子高生のルーズソックス流行の発祥が茨城県水戸市だった説を思い出しました。
都会への憧れから爆発的にそして過剰な形で流行るというのはいつの時代もあるんだな〜なんて興味深く思いました。
そう考えると、いつの時代も人の興味の本質って普遍で、今体感していることを出す意味ってあるなあと痛感いたします。
で、もちろん今現在のものもなんですが、自分が肌で感じた範囲の過去の文化の振り返りもまた、その時に生きている人間にしか感じることのできない何かがあると思う今日この頃なのです。
というわけで、最近の私はなぜか1980年代にタイムスリップしております。
昭和50・60年代。ある意味、平成が終わろうとしている今も妖怪のようにはびこるTHE昭和時代。
その頃の私は小・中学生。当時、女子たちに流行っていたのが「コバルト文庫」を筆頭とする少女小説でした。
で、冒頭の花井愛子氏はその時に爆発的に人気作家だった記憶です。
とはいえ、私はタイミング的に花井愛子を通らずに来まして、唯一、学校にあった学級文庫の1冊をペラリとめくった記憶くらい。
その時はあまりのキラキラキラリンな台詞ばかりの余白多めな世界観に圧倒され静かに本を閉じたのでした…。
しかし、大人になって色々な台詞を切り取ってきた私、円熟した今こそ読むべきだろう!と手にしましたよ!花井愛子作品を!!
読んでみて、、すごい…80年代を凝縮したような世界…今も感じる歌舞いている感……
小学生の時とは違う衝撃が駆け巡っております……
チャイム音を大きく表示して「これくらいのボリューム」。小説にあるまじき視覚(not挿絵)で音量を理解させる行為!
読点の乱れ打ち、句点の位置の奇抜さ。ある意味理解するのが難しい!
ちょっと行きすぎなぐらいキャッチーなのは花井愛子さんが広告畑のコピーライターだったからかもしれません。
表現方法として興味深い部分が多くて、花井愛子作品ももう少し読みたいし同時代の他の作家さんのものも読みたくなってきました。
もうこうなると私がどこへ進もうとしているのか自分でもわかりませんが(笑)、まあ、どんな形にせよ作品には投影されていくのではないかと思います。
しかしこのままいくと、新元号になっても80年代のティーンズ文庫読んでいる可能性があるな、私…。
とりあえず、平成も超えても昭和の呪縛から逃れられそうもないコイケなのでございました。
2019年01月30日
コイケババアに花束を
posted by コイケジュンコ at 00:05| Comment(2)
| 日記
やたらと長い日記ですみませんっ(笑)
ありがとうございました!